「アリガトウっておいしい?」と聞かれたら、どう答えますか?
ある日の午後、ぼーっとしながら道を歩いていたら、チャイルドシートにちびっこを乗せた自転車とすれちがいました。
そこで聞こえてきた会話が、冒頭の「アリガトウっておいしい?」というちびっこの質問です。
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その時「アリガトウは食べられないでしょう」と私は思いました。
そして、ちびっこの親御さんが答えを言う前に、自転車は通り過ぎて行きました。
しばらくして、このことを思い出し、ふと考えました。
「おいしい」って感じるとき、どんな気分になるでしょうか?
「とっても幸せ!」とまではいかないにしても、少なくとも嫌な感じはしないようです。
どちらかというと「おいしい」時は“いい気分”なのでしょう。
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では、「ありがとう」って言う時、「ありがとう」って言われる時、誰かが「ありがとう」って話すのを聞いている時、どんな気分でしょうか?
多くの場合、これも嫌な感じはしないようです。
どうやら「ありがとう」を耳にする時も“いい気分”が周りにあるようです。
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「おいしい」も「ありがとう」も“いい気分”とともにあって、感覚的には同じ種類のものなのかもしれません。
“幸せの感覚”ってこういうものなのかもしれないと思いました。
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みなさんにとって「おいしい」に近い感覚、どんなものが思い浮かぶでしょうか?
それは、毎日ご飯を食べるようにとても身近にあるのかもしれません。
そんな感覚を見つけて味わえたら“いい気分”でいられるようです。
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最近私は、道を歩いていていい香りがした時、使ったティッシュが柔らかかった時、思いがけない人からメールをもらった時、お米の水加減がうまくいった時、“幸せの感覚”を感じて“いい気分”を味わえました。
“いい気分”を見つけやすい人になると、“いい気分”でいる時間が増えます。
そんな人と一緒にいると“いい気分”でいられるから、“いい気分”を楽しみたい人が周りに集まってきます。
そこでまた“いい気分”を見つけると…
いつのまにか“いい気分”の連鎖の輪に入っていけます。
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そうできたらいいと、みなさん頭ではわかっているんですよね。
でも、しんどい時はなかなかうまくいかないから悩むのでしょう。
しんどい時は「“いい気分”なんて今の自分に関係ない」なんて思ったりもします。
心の中がしんどい気持ちでいっぱいで、“いい気分”の入る隙間がなくなっていることもあります。
しんどさがあまりにも大きくて、その大きさ以上の“いい気分”がやってこないと、しんどさが打ち消せないような気がすることもあります。
そして、結果的には、本当はすごく欲しいはずの“いい気分”がやってくるのを拒んでしまうことになっているのかもしれません。
これは“しんどさ”の連鎖にとらわれている状態です。
“しんどさ”の連鎖を“いい気分”の連鎖に変えるために、ほんの少しでいいから「おいしい」に近い感覚を感じられたらいいですね。
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もしかしたら、あの時ちびっこが言ったのは、「アリガトウ」じゃなくて、「カリントウ」や「コンペイトウ」の聞き違いだったかもしれません。
それでも、“幸せの感覚”がどういうものか考えるきっかけをくれた出来事に、私は感謝しています。
そして、もし「アリガトウっておいしい?」と聞かれることがあったら、もちろん「すごくおいしいよ」って答えたいと思います。