癒しに役立つ考え方をカルタ形式で記事にしていきます。
プレゼントをされて、素直に喜べるだろうか。
「こんな私のために申し訳ない」
「お返し、どうしよう?」
「贈られても困る」
などと思うとしたら、“受けとり下手”なのかもしれない。
物だけでなく、好意や善意に対しても“受けとり下手”では?
**
受けとり下手の理由は、いろいろある。
ひとつは、贈り物(気持ちも含む)をもらうと、申し訳なく思う気持ち。
これは一見、遠慮にも、謙虚にも見える。
心の状態を言葉にするならば、「自分はそれを受けとるのにふさわしくない」ということ。
「受けとる価値が私にはありません」という自己価値の低さに課題があるのかも。
**
視点を変えて、相手側の気持ちを考えてみると…
相手からすると、「喜んでほしい」「あなたにしてあげたい」と思ったのに、辞退されるのは残念。
こちらに悪意はないけれど、結果的に相手の思いを拒絶していたりする。
**
受けとり下手の理由。
もうひとつは、「こんなに良くしてもらっても、何もお返しすることができません」という気持ち。
誕生日プレゼントをもらったら、相手の誕生日にも同額程度のプレゼントをする。
お中元をもらったら、お中元を送り返す。
お祝いをいただいたら、内祝いをお返しする。
ふるさと納税したら、返礼品が届く。
返礼は日本の文化。
そして、「相手が喜ぶものをお返ししたい」「失礼のないものを」などと真剣に考えまくると、だんだん面倒くさくすらなってくる。
「悩みの種ができるくらいなら、プレゼントなんて欲しくない!」と思うことだってある。
相手に「きっとイイものを返してくれるでしょう」と期待されると思うと、プレッシャーになるもの。
けれども、多くの場合は、相手は「贈りたい」理由があるから贈っていて、「お返しが欲しい」から贈っているわけではない。
「贈りたい」「してあげたい」という相手の思いに反応するなら、ただ受けとることが相手の喜びになる。
**
「お返しできません」が受けとれない理由の場合。
恋愛でいえば、相手の気持ちに応えられないときに、受けとれなくなる。
「気持ちに応えられない」と困って「察してよ」と思うときほど、相手には伝わらなかったりする。
とりあえず、「気持ちはありがとう」と一度相手の気持ちを受けとろう。
その上で、「でも、応えることはできない。ごめんね。」とサクッとお断りする方法でもいいのかも。
**
それから。
ちょっと想像してみてほしい。
もし、自分が誰かの役に立てたら、どんな気持ちがするだろう?
無理なく自分がしたことで、誰かが喜んだり、感謝されたりするとしたら。
「ああ、よかった!」と自分も嬉しくなるのではないだろうか。
相手からの贈り物や好意や善意を「ありがとう」と受けとることは、相手に感謝や自己重要感を与えること。
私たちが受けとることは、相手に
「役に立ててよかった」
「喜んでもらえてよかった」
「感謝してもらえて嬉しい」
といった気持ちを与えられる。
さらには、
「自分は人の役に立てる」
「自分は誰かを喜ばせることができる」
などの自信を届けるチャンスでもある。
究極的には、
「自分はここに居ていい」
と、存在の肯定を相手に与えることにもなる。
受けとること=与えること
こうして、あったかい気持ちは循環していく。
**
こんな考え方もある。
場合によっては、受けとりっぱなしOK。
だって、受けとることは与えることだから。
**
それから、こんな捉え方もある。
誰かからもらった恩は、必ずしも本人への「恩返し」でなくてもいいのかも。
誰かへ返すのではなく、自分から次の誰かに「恩おくり」すればいい。
恩返ししなかったら怒られるだろうか?
恩おくりされたら、喜んでくれるのではないだろうか。
未来の誰かのために、自分が役に立てたと思えたら。
けっこう、幸せ。
**
受けとり拒否は、相手も傷つく。
受けとることは与えること。
もう少し気軽に受けとって、受けとることで与える人になってもいいのでは?
**
【関連記事】
う:受けとることは与えること
プレゼントをされて、素直に喜べるだろうか。
「こんな私のために申し訳ない」
「お返し、どうしよう?」
「贈られても困る」
などと思うとしたら、“受けとり下手”なのかもしれない。
物だけでなく、好意や善意に対しても“受けとり下手”では?
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受けとり下手の理由は、いろいろある。
ひとつは、贈り物(気持ちも含む)をもらうと、申し訳なく思う気持ち。
これは一見、遠慮にも、謙虚にも見える。
心の状態を言葉にするならば、「自分はそれを受けとるのにふさわしくない」ということ。
「受けとる価値が私にはありません」という自己価値の低さに課題があるのかも。
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視点を変えて、相手側の気持ちを考えてみると…
相手からすると、「喜んでほしい」「あなたにしてあげたい」と思ったのに、辞退されるのは残念。
こちらに悪意はないけれど、結果的に相手の思いを拒絶していたりする。
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受けとり下手の理由。
もうひとつは、「こんなに良くしてもらっても、何もお返しすることができません」という気持ち。
誕生日プレゼントをもらったら、相手の誕生日にも同額程度のプレゼントをする。
お中元をもらったら、お中元を送り返す。
お祝いをいただいたら、内祝いをお返しする。
ふるさと納税したら、返礼品が届く。
返礼は日本の文化。
そして、「相手が喜ぶものをお返ししたい」「失礼のないものを」などと真剣に考えまくると、だんだん面倒くさくすらなってくる。
「悩みの種ができるくらいなら、プレゼントなんて欲しくない!」と思うことだってある。
相手に「きっとイイものを返してくれるでしょう」と期待されると思うと、プレッシャーになるもの。
けれども、多くの場合は、相手は「贈りたい」理由があるから贈っていて、「お返しが欲しい」から贈っているわけではない。
「贈りたい」「してあげたい」という相手の思いに反応するなら、ただ受けとることが相手の喜びになる。
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「お返しできません」が受けとれない理由の場合。
恋愛でいえば、相手の気持ちに応えられないときに、受けとれなくなる。
「気持ちに応えられない」と困って「察してよ」と思うときほど、相手には伝わらなかったりする。
とりあえず、「気持ちはありがとう」と一度相手の気持ちを受けとろう。
その上で、「でも、応えることはできない。ごめんね。」とサクッとお断りする方法でもいいのかも。
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それから。
ちょっと想像してみてほしい。
もし、自分が誰かの役に立てたら、どんな気持ちがするだろう?
無理なく自分がしたことで、誰かが喜んだり、感謝されたりするとしたら。
「ああ、よかった!」と自分も嬉しくなるのではないだろうか。
相手からの贈り物や好意や善意を「ありがとう」と受けとることは、相手に感謝や自己重要感を与えること。
私たちが受けとることは、相手に
「役に立ててよかった」
「喜んでもらえてよかった」
「感謝してもらえて嬉しい」
といった気持ちを与えられる。
さらには、
「自分は人の役に立てる」
「自分は誰かを喜ばせることができる」
などの自信を届けるチャンスでもある。
究極的には、
「自分はここに居ていい」
と、存在の肯定を相手に与えることにもなる。
受けとること=与えること
こうして、あったかい気持ちは循環していく。
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こんな考え方もある。
場合によっては、受けとりっぱなしOK。
だって、受けとることは与えることだから。
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それから、こんな捉え方もある。
誰かからもらった恩は、必ずしも本人への「恩返し」でなくてもいいのかも。
誰かへ返すのではなく、自分から次の誰かに「恩おくり」すればいい。
恩返ししなかったら怒られるだろうか?
恩おくりされたら、喜んでくれるのではないだろうか。
未来の誰かのために、自分が役に立てたと思えたら。
けっこう、幸せ。
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受けとり拒否は、相手も傷つく。
受けとることは与えること。
もう少し気軽に受けとって、受けとることで与える人になってもいいのでは?
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