私達の心にある“自分自身の物語”についてと“癒しの経験”のお話、2回目です。

 前回のお話は >>> こちら  ◆ 何事もバランス〜ネガティブは悪くない!〜

◆  既成のお話から作られる物語

さて、いきなりですが。
もしあなたの人生に物語のような設定があるとしたら、一体どんな物語設定があるのでしょうか?

私達は普段意識していないところで、いくつもの物語をもっているようです。
物語というと大げさかもしれませんが、こうするとこうなるといった
ストーリー性のある考え方と思っていただけるといいかと思います。

例えば、辛いことを耐えて頑張っていれば、
いつか必ず幸せがやってくるといった物語はありませんか?
子供の頃必ずと言っていいほど見聞きするお話には、『シンデレラ』や『白雪姫』などがあるかと思います。
想像力豊かな子供は、主人公のお姫様に自分を重ねて考えます

今自分が辛いと感じていることが、まるでお姫様たちが経験している試練と同じように思い、
いつか王子様が私を見つけてくれる、迎えに来てくれるという夢を思い描くことがあります。
いわゆるヒロインの物語ですね。

そして、子供心にこう思った記憶はないでしょうか。
「幸せがやってくるには、今辛いのはがまんしなければいけない」ことなのだと。

男性版でいうと、和の例えになりますが、『桃太郎』とかでしょうか。
鬼退治をして、成功して故郷に帰るヒーローの物語ですね。
この物語は、勇気をもって立ち上がり、困難に打ち勝って、金銀財宝を手に入れて幸せになるお話です。

この物語に自分を重ねて、
例えば「幸せになるためには、悪い敵と戦って勝利しなければならない」
という物語設定は皆さんの中にはないでしょうか。

また、一般的によく聞くお話に、「橋の下から拾われてきた話」というのもあるかと思います。

あなたが子供の頃、ある日、親や兄弟から
「お前は本当はこの家の子供じゃない。実は○○川の橋の下から拾ってきた子供なんだ。」と聞かされ、
大きなショックをうけた経験はないでしょうか。

大塚は父や姉に言われて悩んだ時期があります。
川の名前とかが妙にリアルで、子供には衝撃的な暴露に思えるものです。

みなさんも誰かに言われたことはありませんでしたか?

ちなみに、この話、一番上の子は畑から拾った、二番目の子は川で拾った、三番目は山で拾ったと、
兄弟それぞれを別の場所から拾ってきたとか、
「お前はデパートで買ってきた」とかいうアレンジバージョンもあるようです。

拾ってきた話が嘘だということは、子供にも割合すぐにわかるもののようです。
顔が似ているとか、へその緒が家にあるとかで。

でも、その話を聞かされた子供は、
どこかで「本当の親子じゃないのかもしれない」という疑念から物語を作り出すことがあります。

ある子は、本当の親子なのに「お前は捨て子だった」と言うのは、
自分がかわいくないからだとか、自分がこの家に要らない子供だからじゃないのかという物語を書きます。

またある子は、自分はこの家の子供ではないということにホッとします。
本当の親はどこかにいる、毎日嫌な思いをしている親は本当の親じゃないからなのだと、
本当の親の存在を希望にした物語を書きます。

また、本当の子供じゃないのに育ててくれてありがとう、というように
恵まれた子の物語を書く子もいるようです。

みなさんはどうでしょうか?

ちなみに、捨て子の風習に関しては、
民俗学の分野で、「捨て子は丈夫に育つ」という信仰があり、
わざわざ子供を一度捨てる真似事をして、すぐに拾う行事があることが論じられています。

また、子供は神の使いと考えられ、異界との境となる川や辻が子供の出現場所とされたという説もあります。

その辺りの解釈から、「橋の下から拾った」という言い回しだけが残ったと考える人もいるようです。
おおもとは「悪意で作られた話ではないらしい」ということは、一応お伝えしておきたいと思います。

これまであげてきた三つの例のように、
苦労に耐えて幸せになるヒロインの物語、戦いに勝って幸せになるヒーローの物語、拾われた子供の物語など、
「そういえば、昔自分もそんなふうに信じていたことがあったなぁ。」
思い出すような物語設定はないでしょうか。

これらの物語設定は、童話や昔話、大人から聞かされる話などから取り入れられるものも多くあります。
そしてその他にも、私達の心の中にはもっとたくさんの個人的な物語が描かれているようです。

 → 次回へ続く