駅からの帰り道、大塚の前を親子連れが歩いていました。
幼稚園児服を着た4歳くらいの男の子と、お母さん。

突然、男の子が脈絡なく「ママ大好き〜」と言いました。
お母さんは、聞こえなかったのか、「うん?」と聞き返しました。

すると、男の子はさっきよりも大声で「ママ大好き〜!」と。
お母さん、今度は「ママも○○くん大好き!」と答えていました。

すると男の子は、お母さんとつないでいた手を
大きく振りながら帰っていきました。

子供の愛情確認方法って、とってもシンプルですね。

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  つい浮気をしてしまう。なぜか人目を忍ぶ恋ばかりしてしまう。
  本当は「そんなことよくない。」と思っているのに、繰り返してしまう。やめられない。

 こういった状況では、とても後ろめたい気持ちを感じるようです。「自分はなんと罪深い人間なのだろう。」と自分を追い詰め、苦しくなってしまうこともあるようです。

 そんな時に、深いところで心が発しているのは、「この罪深い私を、どうか許してください。」というメッセージのことがあります。逆転の発想をしてみると、見方によっては、「許されるために罪を犯している。」と見ることもできるのかもしれません。

 こんな書き方をすると、浮気をされた側・不倫をされた側の立場の方からは、「???激怒!」となるかと思います。ここでは、心のしくみの一つの見方として書かせていただいております。ご了承ください。

 わたしたちは、意図せずに「こんな私でも愛してくれる?」「こんな私でも受け入れてくれる?」と誰かにテストをすることがあります。例えば、「昔、こんな恋をしていたけれど、それでもいい?」とか、わざとひどい自分を見せて「これでも嫌いにならない?」「ずっと好きでいてくれる?」とか。

 なぜこんなテストをするかというと、「それでもいいよ。」「嫌いにならないよ。」と言ってほしいから。愛してもらえる自信がなくて、「絶対に大丈夫!」と確証がほしいからテストをしたくなるようです。

 なぜなら、信頼してのめり込むことにおそれがあるのでしょう。もしかしたら、恋愛や友人関係でずっと前に傷ついた経験があって、もう二度とあんな思いはしたくないから、はっきりと大丈夫だという確証が欲しいのかもしれません。

 その確証を得るための極端なテストが、浮気だったり、人目を忍ぶ恋だったり、それは誰が見ても「君の方が理に適わないことをしているんじゃないか?」ということだったりすることがあるようです。

 テストをされる側からすると、あまりにも難問でしょうね。生々しい感情が吹き荒れることでしょうし、「自分で浮気しておいて、愛されたいってどういうこと??」と理解に苦しむかもしれません。心の仕組みを知ったからといって、「わざわざこんなに愛されにくい態度で愛されようとしなくてもいいのに…」といった見方はなかなかしにくいものかもしれません。

 愛される確証がほしいのに、かえって愛されにくい行動をとってしまう、私たちってどうにも不器用ですよね。

 ところで、「罪深い」という気持ちは、表面的には浮気や人目を忍ぶ恋などとして現れてきますが、深層心理的には別の理由が隠れていることもあると言われています。それは、「どうか許してください。」の裏に隠れた、「許していない誰かの存在」です

 何らかの理由で誰かを責めて攻撃していると、「そんな自分は愛されるはずはない。」という思いが同時に発生します。自分が誰かを攻撃しているように、自分も別の誰かから攻撃されるに違いないと思います。そして、人は心で感じている状況を周りに引き起こそうとしますから、愛されにくい態度や行動をとってしまいがちになります。

 大抵の場合、許していない誰かの存在というのは、心の奥に隠れていて、探してみようとしないと見つからないようです。また、自分が誰かを許していなかったことを認めるのには、成熟さが必要です。

 例えば。浮気を繰り返してしまう方がいらっしゃいました。(ご本人の了承を得て書かせていただいています。)

 「浮気はよくないと思っていても、やめられない。パートナー以外の他の人に心が動いてしまう。」という、その方のお話をうかがってみました。

 すると、結婚を決めた時に「本当に自分を選んで結婚を決めてくれた。」と思えなかった悲しみが出てきました。「パートナーが本気になって自分を選んでくれないのなら、これ以上傷つきたくないから、パートナーになんか夢中にならない。自分もパートナーを本気の相手に選ばない。」そんなわだかまりが心にあったことがわかりました。結婚を決めた時のパートナーの態度を許せていなかったのでしょうね。

 その方は、わだかまりがあったから、自分がパートナーからの愛情を感じることを止めていたことに気づかれました。そこで、もう一度パートナーからの愛情を受け取ることにチャレンジし、パートナーに夢中になることを自分自身に許していくことを決められました。

 頭で理解したことを実践していくのは、簡単そうで簡単でないこともあります。それでも、一歩ずつ進むその方を応援していきたいと思います。

 「どうか許してください。」という背景に「許していない誰かの存在」があるのなら、許してほしいときは許すときなのかもしれません。誰かを楽にするために許そうとするのではなくて、自分が楽になるために許しにチャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。

◇ameblo“恋愛テクニック”記事(2012年7月19日掲載)を一部修正しての紹介です。