堤真一さん出演の『今ひとたびの修羅』
(シスカンパニー公演・いのうえひでのり氏演出)という舞台を観てきました。

大正から昭和に移り変わる頃が時代設定のお話です。

平成の今と時代は異なりますが、
男女の間柄で、「好きなものは好き」「好きでも叶わぬ恋がある」というのは
不変のテーマなのでしょうね。

舞台での結末は…内緒です。

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

   あんなに愛し合っていたはずなのに…
  どこでボタンを掛け違えてしまったのか、すれ違いの溝が埋まらない恋。

   こんなにも好きで、好きで、好きなのに…
  どんなに想っていたとしても、添い遂げられない恋。

  このまま二人でいることも辛い。できるだけのことをしてみたけれど、それでもどうにもならない。
  望まない別れを承諾するしか道はないのだろうけれど、「納得できない!」と気持ちが暴れてしまう。

 現在、そんな切ない恋の渦中にいる方、または、かつてそんな恋をご経験された方もいらっしゃるかと思います。

 そんな恋で、もし今心を痛めているのなら、「真実ならば…」という一つの考え方がお役に立つ場合もあるのかもしれません。

 「真実ならば、また出会う。」という言葉があります。

 「望まないまま別れた二人が、もしお互いにとって“真実のパートナー”であるならば、もう一度出会う機会があるでしょう。」といった意味でしょうか。最愛の人と引き裂かれるような別れ方になった時には、この言葉が生きる希望になるかもしれません。

 但し、この言葉には別の意味も含まれているようなので、そちらも充分に理解しておく必要がありそうです。別の意味というのは、ちょっと言いにくいのですが、「別れるには理由がある。」ということでしょうか。

 どうも、「真実ならば、また出会う。」なら「じゃあ、私達はもう一度出会えるにちがいない。」と信じればいいという単純なお話ではないみたいなのです。

 認めたくないことかもしれませんが、別れることになったのには、何かしらの理由があったのではないかと思われます。そのお付き合いの間に、二人の関係が“真実”になりきれなかった何らかの理由が。

 そして、その理由というのは、あなたを責めるためにあるのではありません。また、相手を責めるためでもないし、他の誰かや環境を責めるためにあるのでもありません。

 あえて言葉にするならば、「別れの理由は、あなた自身がより真実に近づくためにある。」と言っていいのかもしれません。言い換えると、「真実に近づくための課題が示された。」ということでしょうか。

 その課題は、いくつかの例を挙げるなら、

   女性として愛されることの怖れをなくしていくこと。
   「自分は無力だ」という思い込みを越えること。
   100%向き合うこと。
   犠牲的に尽くすことをやめてお願いすること。
   一緒にやっていくと決めること。
   相手の価値観を理解してみようとすること。
   うまくできない自分を許すこと。
   「〜すべき」という決まりごとを廃止してみること。
   与えられたものに感謝していくこと。
   勝ち負けで戦わないこと。
   信じてゆだねること。
   愛情を表現してコミュニケーションしていくこと。

 などなど。人それぞれに様々な課題があるのではないかと思います。

 あなたに示された課題を知り、その課題をクリアしていけたら、あなたが真実に近づくでしょう。そこに至り、「お互いにとって“真実のパートナー”であるならば、もう一度出会う」のではないでしょうか。もし、もう一度あの人に出会わなかったとしても、より真実に近づいたあなたには、別の“真実のパートナー”が現れるのかもしれません

 なお、「あの人と復縁するために」と課題に取り組むことは、あまりお勧めしません。これは「あの人のことを思い続けなければならない。」という呪縛になってしまいます。この呪縛を「執着」と呼びます。

 何かにとらわれていると、目の前にあるものが見えなくなります。あの人以上にあなたと愛し合える“真実のパートナー”が目の前に現れても、それに気がつけないようなものでしょうか。

 「真実ならば、また出会う。」ならば、「真実に近づいてみよう。」という方向を向いてみるのが適しているのかもしれませんね。

 この「真実ならば…」は一つの考え方です。辛い気持ちから抜け出すための糸口になればと紹介させていただきました。

◇ameblo“恋愛テクニック”記事(4月18日掲載)の紹介です。