2月に入ってから、急な流れがやってきているのを感じます。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?

大塚には、昔あきらめなければならなかった夢がありました。
今、その夢が少し形を変えて目の前に現れています。

挑むか否か、選択の時のようです。

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 今日はバレンタインデー。せっかくなので愛にちなんだ話など。

 日本でバレンタインデーが女性から男性にチョコを贈る日として定着しだしたのは、1970年代頃からでしょうか。当時としては、「告白は男性からするもの」という概念を打ち破ったことは画期的だったでしょう。

 また、特別な一日だけ女性からのアプローチがOKという、限定された中での解放感が女性の支持を得たのではないかと推測しています。「今だけ」とか「限定」とかいうのは、「迷っていると逃してしまう」という危機感をほどよく刺激して、飛び込む決意を促しているのかもしれません。

 それから、同じように恋する女性たちがたくさんいて、同じようにこの日にがんばっているだろうことも、勇気を出して告白しようとする背中を押してくれたのではないでしょうか。「みんなもしていることだから」というのは、「私も」と許可が出しやすくなりますから。

 それから時は流れて…。

 現在の日本のバレンタインは、「本命チョコ」「義理チョコ」「友チョコ」「自分チョコ」など、多様な文化に展開しています。ある程度形式が決まっているイベントだからこそ、そのイベントに乗ってできることが広がっていくようです。

 これを心理的に読み解こうとすると、わたしたちは愛を贈るきっかけを求めているのではないかと思えてきます。

 たぶん、チョコレートじゃなきゃいけないわけではないのでしょうね。そして、バレンタインデーじゃなきゃいけないわけでもないのでしょう。普通の日には照れくさかったり、改めて言いにくかったりすることが、「今日だからOK」になっているのではないでしょうか。

 バレンタインは、わたしたちが日常で伝えきれない「好き」や「ありがとう」を言わせてくれる日なのかもしれませんね。

 話は変わりますが、わたしたちは「好き」や「ありがとう」を言えなくなると、行き場のなくなった気持ちが滞ってもやもやしてしまいがちです。

 例えば、コンコンと水が湧き出る泉があったとします。ところが、その湧水に流れ出ていく先がなかったとしたら。水は溜まって、やがて腐ってしまいます。

 わたしたちの心に湧き出てくる「好き」や「ありがとう」などの愛の気持ちも、自分の外に向かって表現していかないと、質が変わって別のものになってしまうのかもしれません。

 浮気をしたパートナーが許せないという問題がある時には。


 許せないことが問題になっているのは、「許したい」と望んでいる気持ちがあるからではないでしょうか。人によっては、許す理由に打算や条件付けが思い浮かぶかもしれません。それでも、「許したい」気持ちがどこかにあるからこそ、関係の修復を選択されたのではないかと思います。


 「許したい」気持ちって、愛の分野の気持ちなのでしょう。「許せない」ことに関して見方はいろいろあります。ひとつの見方として、心の底から全力で許したいために、引っ掛かりを許せていないのだとしたら、全力で許そうとしている愛の気持ちがあることに目を向けてみるのも大切なことなのかもしれません。


 私は本気だったのに、あの人にとっては浮気だったというような問題がある時には。


 相手を憎む気持ちがあるとしたら、憎しみの量だけ相手への気持ちがあったということでしょう。悲しむ気持ちがあったなら、そんなに悲しくなる分だけ相手への気持ちがあったということでしょう。


 憎みたいわけではなく、悲しみたいわけではなく、相手を想っていた気持ちが行先を失ってしまったことが辛いのかもしれません。視点を変えてみたら、たぶん、そんなに辛くなるくらい人を愛したい気持ちのある人なのでしょう。


 わたしたちが問題の渦中に居る時、わたしたちは自分たちがどれだけ愛の気持ちを持っているのかを忘れていることがあります。そんな時、「好き」と言うこと、「ありがとう」と言うことから遠ざかっているのかもしれません。もう一度、愛の気持ちからはじまる関係作りに戻ってみてもいいのかもしれませんね。


 世界の中心で愛を叫ばなくても、心の真ん中から愛を叫べたなら。わたしたちの心から溢れ出る愛情は、美しい流れとなって世界を満たしていくのかもしれません。


 バレンタインに行き交うチョコたちには、甘いものも苦いものも甘酸っぱいものもあるでしょう。そんなチョコたちに込める想い、何かしらの愛からはじまる気持ちがあることを素晴らしいと思うのは、わたしだけでしょうか。

◇ameblo“恋愛テクニック”記事(2月14日掲載)の紹介です。